

萩原印刷株式会社 取締役萩原 司朗話で輪を作り和を生み出す。
萩原印刷株式会社、萩原取締役の和に迫る。

100年の歴史を支えてきた「和」の心
私の志を漢字一字で表すなら「和」です。
日本人として和を重んじる心、協調性やみんなで助け合うことが、仕事をはじめすべてにおいて大事です。
弊社は2025年4月に創業から100周年を迎えます。
ここまで会社の歴史が続いたのも、お客様・社員・地域との和を大切にしてきたからだと考えています。
弊社は、大正14年に私の曾祖父が創業しました。
もともと曾祖父は書籍の出版社で働いており、その後に出版社の親戚から奥さんをもらい、夫婦で独立して始めたのが萩原印刷です。
祖父に代替わりした42年ほど前には現在の自社ビルを建て、当時は1階で事務所と工場の両方を運営していました。
社員は12人ほどだったと聞いています。
ビルを建てた2年後に祖父が病気で亡くなると、祖母が会社を引き継ぎました。
その時代に女性が経営者になるのはかなり珍しかったのですが、祖母の代では自社工場を建て、社員が50人規模になるなど、会社が大きく成長しました。
亡くなった今でも、祖母は弊社にとってとても偉大な存在です。

祖母の厳しさと経営者の信念
祖母は私にとって「とても厳しくて怖い存在」でした。
幼少期は、よく祖母から礼儀作法や食事のマナーなどを細かく注意されました。
今でこそ感謝していますが当時は厳しい祖母が苦手でした。
そんな印象が変わったのは、私が萩原印刷で働き始めてからです。
祖母は家庭よりも何よりも会社を大切にしてきた人でした。
だからこそ社員から尊敬され、「あの人がいたから仕事を続けてこられた」という声を聞いて、素晴らしい経営者なんだとわかったんです。
私の入社から4年後に祖母は他界してしまい、長い期間を一緒に働いたわけではないのですが、仕事場でも私にだけすごく厳しかった。
今思えば、祖母は子どもの私に「会社を継いでほしい」と何度も言っていました。
孫とおばあちゃんの関係ではなく、後継者になってもらうために私を厳しく育てたのかなとも思います。

印刷業の息づく町で、
新しいキャリアをスタート
自社ビルのある文京区は、昔から地場産業として印刷業が盛んな土地です。
私が子どもの頃は通りのいたるところから印刷機の音が聞こえてくるような町でした。
自社ビルの上層階は家族が住む居住スペースになっていたこともあり、幼少期から社員が働いている姿はよく見ていましたね。
1階の工場に忍び込んでは「危ないから出なさい」と職人さんに怒られたり、オフィスにもこっそり入ったりして遊んでいました。
ただ、会社は私の叔父が継ぐことが決まっており、私自身も後継者になるつもりはなかったため、IT企業に就職してプログラマーになりました。
人とコミュニケーションをとるのが得意だったことから、コミュニケーション力のあるプログラマーとして重宝され、システムエンジニアになりました。
他の会社に就職すれば諦めてくれるかと思いましたが、それでも祖母は「萩原印刷を継いでほしい」と言い続けていて、ついに根負けして入社を決めました。
萩原印刷に入ってからは、持ち前のコミュニケーション力を活かして営業の仕事に就きました。

相手の懐に入る営業の秘訣は
「こだわりを持たないこと」
入社後に営業の仕事を初めてやってみて、想像以上にお客様と仲良くなれるんだなと感じました。
コミュニケーションを大切にして仕事をしていると、認めてもらえる場面もたくさんあります。
営業は頭を下げるだけが仕事じゃないんだなと気づいた瞬間でした。
今はありがたいことにお客様と印刷会社という関係性以上に信頼いただき、仕事から離れれば「飲みに行こうよ」と誘ってくださる方もたくさんいます。
私が営業をするうえでのこだわりは「相手に合わせること」。
人によって対応方法を柔軟に変え、これが私のやり方だからと押し付けない。
私の営業の武器はコミュニケーション力ですが、明るく愛想を振りまくだけがコミニュケーションじゃないというのは、常日頃から意識していますね。

お客様のニーズに柔軟に応えながら
歩んだ出版印刷一筋の道
弊社は間もなく100周年を迎えますが、これまで出版印刷一筋でやってきました。
ホームページ制作や動画制作など、出版社の販促・プロモーション支援事業も手掛けていますが、主な軸である出版業へぶれずに取り組んできたのは大きな強みです。
「本の形をしているものなら何でもやる」のが弊社のモットーで、文芸書・実用書・文庫・新書・写真集・絵本・教科書・学習テキストなど幅広い書籍に対応しています。
弊社の売り上げ比率としては語学の本が多く、海外から留学する人が日本語を勉強する本は大きな割合を占めます。
ところがコロナ禍は留学生が日本に来られなくなり、売り上げが500万円まで減少してしまいました。
代わりに子どもたちが勉強しながら遊べるようなドリルが流行ったり、家で過ごす時間を充実させようと読書をする人も増えたりして、下がったものもあれば上がったものもあり、売り上げはトータルで同じ結果となりました。
これは、本に携わる印刷を継続して行ってきたからこその結果だと思っています。

本を通じて育む信頼こそが、やりがいの源泉
お客様とコミュニケーションをとり、本を制作していく中で「ありがとう」と言っていただける瞬間が一番のやりがいです。
お客様のちょっとしたミスに早めに気づいて、少しでも手間を減らす。本を読んで感想をお伝えする。
そんな小さな積み重ねで信頼感が生まれるんだと思います。
当社は出版印刷を専業でやってきたため、そのノウハウは大きな差別化ポイントだと考えます。
本の印刷に特化した本文印刷機・装丁印刷機を取り揃えており、これらの機械を持っている中小の印刷会社はとても少ないです。
また、弊社の工場は悪臭・騒音・振動などの地域への環境影響を未然に防ぐ対策をしているのも特徴です。
大気汚染と地球温暖化の防止、廃棄物の削減、リサイクル推進など、環境保護に対応した印刷工場として、グリーンプリンティング認証を取得しました。
お客様との信頼関係のもとに二人三脚で本を制作し、社員同士は仲間で助け合い、地域や地球環境にも優しい経営をする。これらはすべて「和」の精神につながります。
弊社が様々な取り組みをすることで若手経営者の励みになったり、業界が盛り上がったりすればいいなと考えながら志事をしていきたいです。

雇用創出、社員の幸福追求、
新規事業立ち上げ…次世代リーダーの志
2013年、弊社は岩手県遠野市に事業所を立ち上げました。
地元で就職したい若者の雇用を生み出す目的で開設し、組版をメインにDTP作業を担っています。
今後もこのような地域貢献活動には積極的に挑戦したいと思っています。
弊社の社訓は「社員の物心両面の幸せを追求する」ことです。
まずは今いる社員を大切にしつつ、もっと会社を発展させてより豊かな生活をしてほしい。
そのために社内には新しい風も入れたいので、新規事業へ一緒にチャレンジしてくれる人との出会いも大切にして志事をしたいですね。
そのうえで、仲間として強い信頼関係を築けたら「和」の経営に近づくと思います。
2025年4月に100周年を迎える弊社で、私は2026年4月に社長に就任予定です。
現社長の叔父と、前社長の祖母から受け継いだ出版印刷という大きな柱を守りながら、今まで挑戦したことのない思い切った事業展開もしていきたいと考えています。
柔軟に他業界からも収入が得られるようなビジネスモデルを作り、「和」をもって萩原印刷を長く守り継いでいくのが私の目標です。


私の愛テムは、萩原印刷へ入社するときに現社長の叔父からもらったペンです。
字にはそれほど自信がなく、手書きはあまり好きではありませんでしたが、最近は人に何か贈り物をする際に一筆添える場面で使うようになりました。
今ではいつも持ち歩いて、大事なメッセージを書くときに愛用しています。
Profile
- 萩原印刷株式会社
- 取締役 萩原 司朗
-
- 1981年
- 2月5日東京都文京区出身
-
- 2004年
- IT企業に就職
-
- 2010年
- 萩原印刷株式会社 入社
-
- 2013年
- 岩手県遠野市に印刷データ作成専門の事業所を開設。
現地で就職したい若者の雇用増加に貢献。
-
- 2023年
- NPO 法人文京BASE 立ち上げ
コロナ禍で生活困窮したシングルマザーや学生、留学生を対象に青年会議所の仲間とフードパントリーを開始。
ただ食べ物を配るだけではなく、食品ロスとなる食品を提供してもらい配っていく方針とした。そこから派生して地域のお祭りの復活などの活動していき、2023年にNPO法人の認証を受ける。